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東京地方裁判所 平成4年(ワ)15851号 判決 1994年10月28日

原告

岩瀬みや

右訴訟代理人弁護士

竹内澄夫

市東譲吉

矢野千秋

前田哲男

小岩井雅行

被告

柏幸秀

右訴訟代理人弁護士

早川滋

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載二の建物部分を明け渡し、かつ、平成六年九月一日より右明渡済みまで一か月金二〇万円の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載二の建物部分を明け渡し、かつ、平成四年九月五日から同六年八月三一日までは一か月一〇万円の割合による金員を、同年九月一日から右明渡済みまでは一か月三〇万円の割合による金員を、各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  岩瀬栄一(以下「栄一」という。)は、被告に対し、昭和四四年ころ、栄一所有の別紙物件目録記載二の建物部分(以下「本件建物部分」という。)のうち、別紙図面(一)のウ、エ、オ、カ、ケ、ウの各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の建物部分を賃貸して、これを引き渡し、その後、さらに別紙図面(一)のア、イ、ウ、ケ、ク、アの各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の建物部分を賃貸して、これを引き渡した。

2  被告は、昭和五〇年ころ、本件建物部分のうち別紙図面(一)のカ、キ、ク、ケ、カの各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の建物部分(以下「増築部分」という。)を栄一に無断で増築したが、増築完成後、栄一はこれを承諾し、以後右増築部分を右賃貸借契約の対象とすることに合意した。

3  右賃貸借契約がその後更新された後、栄一と被告は、平成元年一月一日、本件建物部分について賃貸期間を昭和六三年九月一日より平成五年八月三一日まで、賃料は平成元年三月一日より一か月二〇万円とする旨定めてさらに契約を更新した(以下更新後の右賃貸借契約を「本件契約」という。)

4  栄一は、平成三年四月一四日死亡し、同人の妻である原告が、相続により別紙物件目録記載一の建物(以下「本件建物」という。)の所有権を取得するとともに、本件契約における賃貸人たる地位を承継した。

5  本件建物(本件建物部分)の滅失による本件契約の終了

原告と被告間の本件契約は、次のとおり本件建物が滅失したことにより終了した。

(一) 平成四年八月二六日午前五時ころ、別紙図面(二)の本件建物部分内のカウンター室カウンター北西隅のごみ箱付近から出火し(以下「本件出火」という。)、同日午前六時四九分ころ鎮火した。

(二) 本件出火の結果、本件建物の二階にある別紙図面(三)の黒沢設備設計事務所や空部屋では、柱、天井、押入、床板、根太などに強い炭化、焼損が生じたほか、本件建物部分も、前記カウンター室内の北側部分の天井の焼失、北西隅天井の焼け抜け、壁面の全体的な焼損、支柱の深い炭化が生じ、南端の梁から北側の野縁、野縁受け、つり木、梁は強く炭化し、厨房内ガスコンロ付近の壁面の焼損剥離、柱の炭化等が生じ、本件建物部分は、周辺の壁面、内部の黒焦げとなった柱二本を残して全焼の状態となった。

(三) 右のように、本件建物の柱、梁といった主要構造部は、広範囲にわたって焼損しているのであり、本件出火以前の本件建物の主要構造部と同等の強度が保たれているとは言えず、特に本件建物の二階部分は、安全上の観点より完全に使用不可能であり、本件建物は、現状ではその効用を失っている。

(四) 本件出火により本件建物の被った損傷を修復するには、前記のとおり本件建物の主要構造部である柱、梁等がかなり焼損していること及び本件建物が建築後二〇年以上も経過している老朽木造建築物であるから、本件建物の三分の二以上の部分について、根太を撤去し、柱、梁を新設した上、更に根太を新設するという大規模な改修工事を行わなければならないのであり、本件建物自体の老朽化を考え合わせると、修復するよりも新築するほうが簡単である。

6  被告の背信行為を理由とする解除による賃貸借契約の終了

(一) 本件建物部分からの出火に関する被告の保管義務違反

被告は、本件契約に基づき本件建物部分の保存に関し善良なる管理者の注意義務(以下「善管注意義務」という。)を負っていたにもかかわらず、次のとおり右注意義務を怠った結果、本件建物部分から出火し、本件建物部分のみならず本件建物全体を滅失あるいは著しく損傷させた。

すなわち、本件の出火原因に関しては、明確には特定されていないが、被告の店が夜半まで不特定多数の人間が出入りし、火気を取り扱う飲食業であり、出火場所がカウンターのごみ箱付近という点から、煙草等の火の不始末による可能性が最も高い。被告は、本件出火当日、旅行に出掛けて本件建物部分にはおらず、経験の少ないアルバイトの店員に店の管理を任せていたものであり、善管注意義務違反があったといわざるを得ない。

また、本件出火が放火によるものだとしても、本件建物部分の西側出窓が施錠されていなかったことにより外部からの侵入が可能になったものであり、この点についても、被告に善管注意義務違反がある。

さらに、本件出火により、本件建物の二階部分も使用不可能になった。その上、後記のとおり、被告が他の賃借人のことを考慮せずに、また、原告の承諾を得ることもなく本件建物部分の改築工事を行い、本件建物部分を不法占有しているために、現在に至るまで本件建物の二階部分は使用不可能のままで賃貸することができない状態であるが、原告としては二階の賃料が入らないことは重大事である。この点においても、被告は、本件契約上の善管注意義務に違反しているものである。

(二) 出火後の無断増改築

原告は、本件出火後、現場保存と危険防止のために関係者以外立入禁止の立札を本件建物の入口に立てるとともに、入口を板塀で塞いでおいたが、被告は、本建物部分の改修工事をするため、平成四年八月三〇日、原告に無断で作業員をして本件建物に侵入せしめ、本件建物部分の改修工事を始めた。

被告は、完全に焼損している野縁や野縁受け、野縁を支えている柱まで新たに作るなどしており、この工事が、被告の施した造作部分のみならず、本件建物部分の主要部分に手を加える無断改築工事であったことは明らかである。また、この無断改築工事は、昼夜を問わず突貫工事で行われ、乱暴なものであったため、本件建物の二階の賃借人も危険を感じ、工事関係者らに対し抗議を申し入れるなどしている。

原告は、被告と今後のことにつき協議しようと連絡をとろうとしたが、全く被告と連絡がとれなかったので、被告が雇っている工事関係者らに対し、無断修復工事を中止するよう求めるとともに、原告に連絡をとるよう被告に伝えて欲しい旨依頼したが、被告からは全く連絡がなかった。

そこで、原告は、平成四年九月一日、東京地方裁判所に対し原告を債権者、被告を債務者とする工事続行禁止の仮処分の申立をした。しかし、その後も被告は、本件建物部分の工事を続行し、完成させた。

(三) 過去の無断増改築

栄一と被告は、本件契約において、事前に賃貸人の書面による承諾がなければ本件建物部分の柱、屋根、土台、壁等の主要部分に変更を加えること(以下この意味で「増改築」という。)はできない旨約した。

しかるに、被告は、昭和五〇年ころ、賃貸人たる栄一に無断で本件建物部分の無断増改築をした。すなわち、それまでの本件建物部分は、壁(別紙図面(一)のウ、ケを直線で結んだ線)で二つの部分に区別されており、一つは店舗、もう一つは住居とされていたにもかかわらず、被告はこの壁を取り壊して全体を一つの店舗に改造し、また、本件建物部分の南東角にあった外壁(別紙図面(一)のカ、ケ、クを順次直線で結んだ線)を取り壊して増築部分を建築した。

栄一がこの無断増改築に気付いて注意したところ、被告は、二度と無断増改築をしないことを誓い、詫状及び念書を差し入れたので、栄一も、これを許すこととした。

右のように、被告は、栄一に対し、二度と本件建物の無断増改築をしない旨誓約したにもかかわらず、今回再び、前記(二)記載のような無断増改築に及んだのである。

(四) 以上の事実のとおり、被告は、本件契約に基づく賃借人としての義務に著しく違反し、原告との信頼関係を破壊した。

(五) そこで、原告は、被告に対し、平成四年九月四日到達の書面をもって本件契約を解除する旨の意思表示をなした。

7  被告は、本件契約解除後も、本件建物部分を明け渡さないところ、平成四年九月五日以降の本件建物部分の相当賃料額は、一か月三〇万円である。

なお、原告は、被告から、本件契約解除の意思表示があった日の翌日である平成四年九月五日以降平成六年八月三一日までの分として一か月二〇万円の割合による金員の支払を受けたので、原告は、右期間内に発生した賃料相当損害金の一部に充当する。

8  よって、原告は、被告に対し、本件契約の終了に基づき本件建物部分の明渡し及び債務不履行に基づく損害賠償として本件契約解除の日の翌日である平成四年九月五日から同六年八月三一日までは一か月一〇万円の割合による金員を、同年九月一日から本件建物部分の明渡済みまでは一か月三〇万円の割合による金員を各支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は明らかに争わない。

2  同2ないし4の各事実はいずれも認める。

3(一)  同5(一)の事実は認める。

(二)  同5(二)の事実は否認する。

(三)  同5(三)及び(四)の各事実は否認する。被告は、本件出火後も、本件建物部分で営業を続けているし、本件建物の他の賃借人も再入居して営業している。したがって、本件建物の効用喪失や強度喪失はありえないのであり、適当な補修をすることで使用を継続できる状態にある。

4(一)  同6(一)の事実中、被告が善管注意義務を負っていたこと、本件出火当日に被告が不在であって従業員二名による営業であったことは認め、その余は不知ないし否認する。

(二)  同6(二)の事実中、原告が、平成四年九月一日、東京地方裁判所に対し、原告を債権者、被告を債務者とする工事続行禁止の仮処分の申立をしたこと、関係者以外立入禁止の立札があったことは認め、その余は不知ないし否認する。なお、賃借人である被告は、右立札にある関係者である。また、被告がなした工事は、被告の費用でした内装工事の復旧工事である。

(三)  同6(三)の事実中、本件契約において、事前に賃貸人の書面による承諾がなければ本件建物部分を増改築することができない旨の約定がなされていること、被告が昭和五〇年ころ、本件建物部分のうち増築部分を無断で増築したことは認めるが、その余は否認する。

(四)  同6(四)は争う。

(五)  同6(五)の事実中、原告が被告に対し、原告主張の日に本件契約解除の意思表示をしたことは認め、その効力を争う。

5  同7の事実のうち、被告が本件契約解除後も本件建物部分を占有しており、毎月賃料として一か月二〇万円の割合による金員を原告口座に振込支払いしていることは認め、その余は争う。

三  抗弁(請求原因6に対し)

1  被告は、以下のとおり本件出火について善管注意義務を尽くしており、責めに帰すべき事由はない。また、原告主張のその他の点についても以下のような点からいまだ信頼関係は破壊されていないというべきである。

(一) 被告は、本件建物部分で、スナック「柏」を営業しているが、日頃から火事だけは出さないよう従業員に対し十分な教育を行なってきた。

かかる被告の指導に基づき、スナックの従業員である山田淳二(以下「山田」という。)、百山智子(以下「百山」という。)は火元や煙草の吸殼を完壁に後始末してきた。

本件建物の火災の出火場所については、本件建物部分内のカウンター室カウンターの北西隅に置かれていたごみ箱と考えられているが、火災のあった平成四年八月二六日の閉店後の後片付けについても、山田が煙草の吸殼を一旦流し場の三角コーナーに捨て、火の気を払ってから三角コーナー内の物をまとめてごみ箱のビニール袋に捨て、それを百山がごみ箱を逆さにして細かい物を残さないようにしたうえ、ごみ集積所に出すという慎重な処理をしているものである。

また、消防署の調査によっても、本件火災の出火原因は不明となっている。

(二) 本件契約において、本件建物部分の造作の模様替えは、被告の費用ですることができる旨の約定がなされているところ、被告は、右約定と栄一の承諾に基づき、別紙図面(一)のア、イ、ウ、エ、オ、カ、ケ、ク、アの各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の建物部分を一室の店舗としたものである。また、被告は、昭和五〇年ころの増築当時、増築部分が被告所有になるとは認識していなかったし、同部分について栄一から対価を得る意思もなかったので、栄一の指示した文書に捺印し、増築して増えた床面積に対応する賃料値上げも受け入れた。したがって、右増築は、栄一に利益を与えるものであって、損害をかけるものではないから、いまさらこれを蒸し返して被告の背信行為を主張するのは妥当でない。

さらに、本件出火後に被告がなした工事は、前記のとおり被告の費用でした内装工事の復旧工事である。

したがって、いまだ信頼関係は破壊されていない。

2  権利の濫用

仮に、本件契約の解除原因があったとしても、原告がこれを行使して被告に対し本件建物部分の町渡しを求めることは、次のような事情に照らし、信義則に反し権利の濫用にあたるから許されない。

本件出火については右に述べたように被告に責任がないうえ、現在本件建物部分では被告が営業をしており、本件建物部分の隣室を借りている画材店も再入居して営業を続けていることからみても、建物の効用喪失とか強度喪失はありえず、適当な補修をすることでその使用を継続できる状態にある。また、被告にとっては、本件建物部分での営業が唯一の収入源であり、これによって被告の家族が養われている。

本件訴訟に先立つ前記工事続行禁止の仮処分申立事件においても、被告はこのような事情を説明し、補修費の負担を申し出たが、原告はこれを拒絶し、被告の事情を知悉しながら本件建物部分の明渡しを求めている。原告は、経済性の観点から本件建物を建て替えて収益の増大を図ろうとしているに過ぎない。

以上の事実を考慮すれば、本件建物部分の明渡しを求めるのは権利の濫用である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実のうち、本件出火場所について、本件建物部分内のカウンター室カウンター北西隅のごみ箱と考えられていること及び消防署の調査で出火原因は不明であることは認め、その余は争う。

同1(二)は争う。被告は、過去の無断改築工事に際し、二度とこのようなことはしない旨誓ったにもかかわらず、今回再び無断改築工事に及んでいるのであって、これが被告の背信行為にあたることは明らかである。

2  抗弁2は争う。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1の事実は、被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

二  同2ないし4の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

三  そこで、原告と被告間の本件契約が終了したか否かについて判断する。

1  原告は、本件建物部分を含む本件建物全体が本件出火により滅失し、本件契約が終了した旨主張するので、この点につき判断する。

(一)  平成四年八月二六日午前五時ころ、別紙図面(二)の本件建物部分内のカウンター室カウンター北西隅付近のごみ箱付近から出火し、同日午前六時四九分ころ鎮火したことは、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない甲第一号証、第七号証の2ないし5、証人広瀬和子及び同竹内澄夫の各証言により本件出火直後の本件建物等の写真と認められる甲第五号証の9の1ないし31、第一〇、一一号証、証人広瀬和子の証言、被告本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

本件建物は、昭和四四年三月に建築された木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建(一階81.63平方メートル、二階75.78平方メートル)であり、一、二階の間取りは別紙図面(二)、(三)のとおりである。

本件建物は本件出火により一、二階計八六平方メートルを半焼した。すなわち、本件建物の二階にある黒沢設備設計事務所や空部屋では、柱、天井、押入、床板、根太などに焼損が生じたほか、本件建物部分も、カウンター室内の北側部分の天井の焼失、南端の梁から北側の野縁、野縁受け、つり木、梁の深い炭化、壁面の全体的な焼損、厨房内ガスコンロ付近の壁面の焼損剥離が生じた。なお、本件建物部分内の被告が化粧板を施していなかった柱については、強い炭化が生じたが、化粧板を施した柱については、化粧板内部の柱の炭化は食い止められた。

他方、本件建物は従前通りの外形を保ち、屋根や外壁が焼け落ちるということはなかった。また、本件建物の一階にある画材店及び本件建物の二階にあるワープロスクールについては焼損は認められない。

なお、被告は後記認定のとおり本件建物部分を修復し、同所において平成四年九月中旬からスナックの営業を再開しており、店の内装も全部綺麗に直している。また、本件建物の一階の画材店も営業しているが、二階部分は未修理のまま使用できない状態にある。

(三)  弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一八号証によれば、本件建物部分の前記損傷状態や本件建物部分の上の階にある二部屋の焼損状態を考慮すると、本件建物部分及びその上部は、柱、梁に火災以前と同等の構造体としての強度が確立されているものとは認められず、地震、台風といった場合の建物の安全性を考慮すれば、修復工事を行なう必要があることが認められる。

(四) 以上認定の事実によれば、本件建物部分では、被告の施した造作、什器備品の焼失のみならず、柱、梁といった主要構造部分までが炭化して損傷しており、本件建物部分及びその上部が火災前に維持していた力学的性能が低下したものと認められる。

しかしながら、本件建物は半焼で、火災後も従前通りの外形を保っており、屋根や外壁が焼け落ちるといったことはなく、本件建物の一階部分は、被告が修理したこともあって使用されていること、また、前記のとおり地震、台風等に備えて改修工事を行なう必要はあるが、その場合どの程度の費用を要するか必ずしも判然としないものの、本件建物を取り壊し再建築した方が経済的であるとまでは認められず、適当な復旧工事を行なうことにより再使用が可能であると認められる。

よって、本件建物部分は本件火災により全体としてその効用を失い滅失したとは認められない。

したがって、原告の本件建物部分が滅失したとの主張は失当である。

2  次に、原告は、被告の本件建物部分についての保管義務違反、本件出火後の被告の無断改築工事、過去の被告の無断改築工事等により被告と原告間の信頼関係が破壊され、原告の解除の意思表示により本件契約が終了した旨主張するので、この点につき判断する。

(一)  本件契約において事前に賃貸人の書面による同意がなければ本件建物部分を増改築することはできない旨の特約が存したこと、昭和五〇年ころ、被告が本件建物部分のうち増築部分を無断で増築したこと、本件出火当日に被告が不在で従業員二名による営業であったこと、本件出火後、本件建物の入口に関係者以外立入禁止の立札があったこと、原告が、平成四年九月一日、東京地方裁判所に対し工事続行禁止の仮処分の申立をしたことは、当事者間に争いがない。

(二)  右の争いがない事実に、成立に争いのない甲第七号証の2ないし7、第八号証、前記甲第一〇、一一号証、証人竹内澄夫、同広瀬和子及び同山田淳二の各証言並びに被告本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められ、被告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できない。

(1) 本件火災前における被告の無断増改築

被告は、昭和五〇年ころ、無断で本件建物部分の南東角にあった外壁(別紙図面(一)のカ、ケ、クを順次直線で結んだ線)を取り壊し、増築部分を建築したが、この後、無断増築工事が賃貸人である栄一の知るところとなり、抗議を受けた。このため、被告は、昭和五〇年一〇月三〇日付で詫状(甲第八号証)を作成して栄一に陳謝し、二度と無断増改築をしない旨誓った。

(2) 本件建物部分からの出火

前記三1の(一)ないし(三)記載のとおり、本件出火により、本件建物部分はもとより、本件建物(特に本件建物部分の上の二部屋)も焼損し、建物の主要構造部分にも影響が生じたが、消防署の判定によれば、出火場所は、被告の管理占有する本件建物部分内のカウンター室カウンター北西隅付近のごみ箱付近とされている。

なお、消防署の判定によれば、出火原因については、電気関係、石油ストーブ及びガス関係の可能性は否定されており、煙草及び放火の可能性については、完全に否定することはできないが、確たる物的証拠もないことから、結局不明とされている。

また、被告の本件建物部分についての管理状況は、次のとおりである。

被告は、本件建物部分においてスナック「柏」を営業しており、平成四年八月二六日当時、アルバイト従業員として山田及び百山両名を雇っていた。本件出火の当日、被告は旅行に出掛けて店におらず、アルバイトの山田と百山しかいなかった。右両名は早く帰りたかったため、団体客が帰ってから急いで店の後片付けにかかり、概ね抗弁1(一)記載のとおりのごみ処理をしたが、店舗内に存した三つのごみ箱のうち一つについては、ごみの量が少なかったので放置したままであった。なお、山田は普段は店の後始末に関与していなかった。

(3) 火災後の被告の無断修復工事

原告は、本件出火後、今後のことについて話しをするため被告と連絡をとろうとしていたが、被告の連絡先に電話などをしても、被告はおらず、連絡をとることができないでいた。

他方、被告は、原告が立入禁止の立札を立てかけておいたにもかかわらず、これを無視し、また、本件建物部分の改修工事をしようと決意した後も原告に何の了承も求めないで、本件建物部分の修復工事を始めた。被告は、本件建物部分の燃えた構造材を一部切削して補強し、焼けた野縁や野縁受け、野縁を支えている柱等を新たに作るなどの工事を行った。この工事は昼夜突貫で行われたため、本件建物の他の部分の賃借人は、被告の行なう工事が乱暴である旨原告に苦情を申し立てた他、被告の雇う工事関係者にも苦情を述べた。

また、本件建物部分からの出火により、その上部の二階二部屋(別紙図面(三)の黒沢設備設計事務所及び空部屋)がひどく焼損し、本件建物の基礎構造材の一部の安全性に問題を生じたことなどから、本件建物部分の修復工事を行なうについても、二階部分を含めた本件建物全体の安全性に十分配慮した修復が必要であった。そこで、原告は、被告の勝手な修復工事を止めようと被告の雇っている工事関係者に対し、工事の中止を求めたが、被告は、工事を続けた。

そこで、原告は、前記のとおり工事続行禁止の仮処分の申立をしたが、結局、被告は本件建物部分の修復工事を完成させた。そのため、現在、本件建物部分の上にある二階の二部屋は前記のとおり安全に使用することができない状況となっている。

(三)  そこで、以上の事実を前提に、被告に原告との信頼関係を破壊する背信行為があったか否かについて検討する。

(1) 本件建物部分の出火について

被告は、抗弁1(一)のとおり主張し、本件建物部分について賃借人としての保管義務違反はないと主張する。

しかしながら、被告は、本件建物部分でスナックを営業しており、この営業に関し火気を取り扱うことが多く、不特定多数の人間も出入りする状況にあったのであるから、賃借人として善良な管理者の注意をもって火災を出さないようにする義務があるところ、前記三2において認定した事実によれば、被告の従業員に対する教育を含めてその防火対策は不十分といわざるを得ず、被告が本件建物部分の保存管理について善管注意義務を尽くしたと認めるに足りない。

また、本件出火について外部からの侵入者による放火が考えられるとしても、被告は、出窓の壊れた鍵をそのままにして本件建物部分を管理してきたものであり(前記甲第七号証の6の2)、これらの点を考慮すると、被告に保管義務違反があったものというべきである。

(2) 被告の無断修復工事

本件出火後、被告が行った工事は、前記認定のとおり、単なる造作部分の修繕にとどまらず、本件建物の構造部分にも手を加える修復工事であったことは明らかである。そこで、被告としては、本件契約上の無断増改築禁止の特約に基づき、予め賃貸人たる原告の書面による承諾を得て修復工事をする必要があったのであるが、被告は、原告に工事の了承を求めることもなく工事を始めており、また、工事に気付いた原告代理人らの制止にもかかわらず、誠意ある対応をとらず、工事を完成させてしまったこと、さらに、本件火災のように賃借部分の上部にまで火災が及び、その焼損程度などから、本件建物部分のみならず建物全体の安全性を考慮した修復工事をする必要があるにもかかわらず、無断で勝手な修復工事を進めていること等に鑑みると、このような被告の行為が賃貸人との間の信頼関係を著しく破壊する背信的な行為にあたることは明らかである。特に、被告は、過去に本件建物部分の無断増築工事をしたことを注意され、二度と無断増改築工事はしない旨陳謝していることをも考え合わせると、被告の本件出火後の無断修復工事の背信性は非常に大きいものといえる。

これに対し、被告は、昭和五〇年に本件建物部分について増築を行ったことは、栄一も納得済みであり、増築部分について賃貸人に所有権を移転し、賃料値上げに応じる等したので、この件が本件契約の原、被告間の信頼関係に影響を及ぼすことはないと主張する。

しかしながら、たとえ事後的に賃貸人が無断増改築を許したとしても、賃借人の背信行為が存したことには変わりがないのでそれを信頼関係破壊の一事情として考慮することはもとより許されるというべきであるから、被告の右主張は理由がない。

よって、被告が本件建物部分の保管義務に反して本件建物部分から出火させ、本件建物部分について無断修復工事を行ったこと等により、原告と被告間でもはや賃貸借契約を継続するに耐えない程度の信頼関係の破壊があったものと認められる。

(四)  原告が、被告に対し、平成四年九月四日到達の書面をもって本件契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。そして、前記のような事情の下においては、無催告解除も有効というべきであるから、本件契約は右解除により終了したものというべきである。

四  請求原因7について

原告は、本件建物部分の賃料相当額は平成四年九月五日以降一か月三〇万円である旨主張し、これに沿う証拠として、証人広瀬和子の証言が存在するが、客観的な裏付証拠がなく、右証言は採用できない。そして、本件契約における賃料が一か月二〇万円であることは、前記のとおり当事者間に争いがないこと等に照らすと、本件建物部分の賃料相当額は平成四年九月五日以降一か月二〇万円を下らないものと認めることができる。そうすると、原告は、被告から平成四年九月五日以降平成六年八月三一日までの分として一か月二〇万円の割合による金員の支払があったことを自認しているので、原告の本件賃料相当損害金の請求のうち、平成六年九月一日以降本件建物部分の明渡済みまで一か月二〇万円の割合による遅延損害金を請求する限度で理由があることになる。

五  抗弁2について

被告は、原告が被告に本件建物部分の明渡しを求めるのは、本件建物を建て替えて自己の経済的利益を図るためであって、被告が本件建物部分を利用する必要性を十分承知しながら被告による使用を拒否しているものであり、信義則に反し、権利濫用にあたる旨主張するが、原告が被告に対し本件建物部分の明渡しを求める理由は、原、被告間の信頼関係が破壊されたためであることは、証人広瀬和子の証言により明らかであり、被告の著しい背信行為が認められることも前記のとおりである。

そうすると、原告が被告の本件建物部分の使用の必要性を知っていたとしても、本件建物部分の明渡しを求めることは何ら信義則に反しないし、権利濫用にあたるともいえない。

その他、本件建物部分の明渡請求が信義則に反し権利濫用にあたると認めるに足りる証拠はない。

よって、被告の右主張は、採用できない。

六  以上の次第で、原告の本訴請求は、本件建物部分の明渡し及び平成六年九月一日から本件建物部分の明渡済みまで一か月二〇万円の割合による金員の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の部分については理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担については、民訴法八九条、九二条但書を適用し、仮執行宣言の申立は相当でないからこれを却下して、主文のとおり判決する。

(裁判官角隆博)

別紙物件目録

一 所在 東京都世田谷区北沢弐丁目弐九四番地壱

家屋番号 弐九四番地壱の弐

種類 店舗共同住宅

構造 木造亜鉛メッキ鋼板葺弐階建

床面積 壱階 81.63平方メートル

弐階 75.78平方メートル

二 右二で示される建物の一階部分81.63平方メートルのうちの別紙図面(一)のア、イ、ウ、エ、オ、カ、キ、ク、アの各点を順次直線で結んだ線により囲まれた範囲の建物部分

別紙図面(二)<省略>

別紙図面(三)<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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